様々な困難を乗り越えて、対峙している男女がいる。
 ふたりの間には僅かな距離。辺りは静かだ。
 女が震える唇を開いた。
「私は…あなたが好き。ずっと前から」
 男は目を細めた。いかにも優しげな眼差しで女を見つめる。
 男は思う。
(ああ…おれはこの後この女を抱きしめなければいけないのだろうか。そして自分の気持
ちを伝えるのか。いや、伝えてから抱きしめるのか。お約束の展開、なんの面白みもな
いつまらない流れ。こいつもきっとわかっていて言ったのだろう。流される。流れるおれ。
言わなければいけない。しかしおれはこの女を好きなのか愛しているのか。雰囲気に飲ま
れているだけではないのか。ああ嫌だ。そう思うと嫌になってきた。ここで背を向けたら
どうなるのだろう。女は涙を流すか何か言うかだろう。予想できる。つまらない。そもそ
も何故こんなことになった。こいつとは長い付き合いだ。ずっと一緒にいる。色々なこと
があった。だからといって、何故愛し合わなければいけないのだろう。こんな流れを作っ
たのは誰だ。誰もいない。ということはおれたちふたりが作ったのか。おれはそんなこと
少しも思っていなかった。だったらこいつが。こいつがそう望んでいるのだろうか。不愉
快だ。こいつの思い通りになることが。だけどおれには選択肢がない。全て予想の範囲内
だ。つまらない。ああ、そうだいっそのことこいつを殺してしまおうか。周りに人影はな
いし予想は出来るがなんとも劇的な流れじゃないか。そうだそうだ殺そう。首を絞めたっ
ていいし頭を打ち付けてもいい。殺そう。殺してしまおう)
 男は微笑みながら女に近づいた。女は瞳を潤ませてそれを眺める。
 女は思う。
(やっぱりお約束。つまらない男。面白くない男。私を抱きしめて「おれも」とか言うの
でしょう。私は涙を流して彼の胸に顔を埋める。反吐が出る。もっと突飛なことをすれば
いいのに一番無難な選択をした。なんてつまらない。場の雰囲気、流れなんて目に見えた
らきっと茶色く濁って汚物がぷかぷか浮いているに決まってる。それに流された私。嫌な
においがする。きっと。私が告白する必要なんて無かった。そしたらこいつが言っていた
のだろうけど。一緒にいた。長い間時を過ごした。でもそれだけ。何故それだけで私たち
が結ばれなければいけないのか。困難を乗り越えたといっても、乗り越える必要はあった
のかしら。間違いなくこいつのためではない。ああ、近づいてくる。突き飛ばしたらどん
な顔をするだろう。予想が出来る。嫌だ嫌だ。何故こんなことになったのだろう。思えば
最初から流されていたような気がする。嫌なにおいの流れは今も私たちを取り巻いている。
この流れはどこから来るのだろう。なんだかこいつの後ろから来ているような気がする。
もしそうならば、こいつのせいでここまで流された。他に選択肢は無い。不愉快だ、とて
も。流れを止めるにはこいつを殺すしかない。このままではいけない。私は流され続ける。
いつか溺れる。嫌だそれは嫌だ。そうだ、殺してしまえばいいんだ。きっと誰も気付かな
い。物語のようで素敵な気がする。抱きしめられたら目に指を突き立てようか。深く。そ
れともキスをした時に舌を噛み千切るのもいいかもしれない。殺そう。殺してしまおう)
 男はこのうえない笑顔で女に手を伸ばした。女は優しく微笑んでいる。

 辺りは暗闇。空には星が輝いている。愛の告白をするならば、最高の環境だった。